山田寅次郎

TOP > シーシャの歴史 > 山田虎次郎

右の写真みてみてよ。彼が山田寅次郎だ。かたわらに小さな水パイプ(トルコだからナルギネ)が写っているのがわかるね。彼は民間の日本人としては始めてトルコの外務省を正式に尋ねた人なんだ。

彼がイスラム世界に身を投じるきっかけになったのは、この写真が撮影される14年前の1890年(明治23年)のある事件がきっかけだった。

明治天皇に親善訪問するために来日したトルコ軍艦「エルトゥールル号」がトルコへ帰る途中、台風に遭遇した。 そしてついに和歌山県串本沖で座礁事故を起こしたんだ。
この事故でエルツゥール号の乗員581名の死者を出したものの、串本の猟師たちの懸命な救助によって69名の生存者の救出に成功した。
そして 生存者69名はトルコへ日本軍艦によって
トルコに無事送られたんだって。

当時新聞記者だった山田虎次郎はこの事件を知って、5000円(当時の感覚で1億円近い)義援金を集めてトルコに直接渡航したんだ。その後彼は事故の犠牲者の家族のために12年ほどトルコで活動しながら日本文化をトルコに広めていったんだって。

ちなみに、あの有名なトプカプ宮殿には山田虎次郎がトルコにわたったさいお土産として持って行った日本の鎧と刀が今でも展示しているよ!

大事故の話もトルコの教科書に載ってるくらい有名な話だし、山田寅次郎もNHKのBSで特集がくまれるくらい立派な人なんだよ。

日本のイスラム世界の草分けはこんな風に始まったんだ。
吸おう!山田寅次郎も吸っていたナルギネ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


山田寅次郎 明治37年
(イスタンブールにて)

 

関連記事
【07年10月6日から】エルトゥールル号回顧展【08年2月17日まで】

参考文献
世界が称賛!!伝説のニッポン人』 話題の達人倶楽部、青春出版社
イスタンブールを愛した人々―エピソードで綴る激動のトルコ』松谷浩尚、中央公論社
オスマン帝国の近代と海軍』小松香織、山川出版社

関連外部リンク
山田宗有『ウィキペディア(Wikipedia)』
エルトゥールル号遭難事件『ウィキペディア(Wikipedia)』
月と虎 −山田寅次郎抄−小野ノヲト

 

TOP
シーシャとは シーシャの歴史 シーシャの使い方 Tips(裏技) シーシャ販売 シーシャ用炭販売 BBS(掲示板) メルマガ ブログ 
シーシャの小説 FAQ リンク

   .。oO  .。oO  .。oO  .。oO  .。oO  .。oO  .。oO
  はてなアンテナに登録 / はてなブックマークに登録

  ブログパーツ




inserted by FC2 system